自分の子供たちが大好き

子供たちに、父の言葉を残して置いときます。

障害について

なんでもかんでも障害になります。

 

一昔前は「個性的」と思われていた時代。

今はそれが何らかの「障害」と診断されます。

 

「症名、病名」がつく事で

・自分ひとりで悩んでいたけど、

    ひとりじゃない。専門家に相談できる。

・支援を受ける事ができる。

 

などなど、メリットは沢山ありますが、

自分の立場から最も心配なのは、

もちろん我が子供たち。

 

息子などは「言語発達遅滞」という

症名を頂いており、対策として

現在は専門家の指導を受けています。

ありがたやありがたや。

 

それはさておき

つい最近までは、

とにかく発達障害に関して

とっても過敏に反応し、

子供たちの些細な事でもビクビクしていました。

・飯食うの遅い…発達?

・運動神経悪そう…発達?

・身長体重平均以下…発達?

・鼻唄歌っている…下手くそ…発達?

あげればキリがないですが、そんな感じ。

 

ようよう考えると、

自分が考える「普通」という枠から

少しでもはまらない違和感を感じた時、

人と違う→普通じゃない→発達障害

と変換されていました、

 

普通ってめっちゃ難しいなあ。

 

そんな事を考えてたら、

普通じゃない事なんていっぱいあって、

・運動神経悪い

・口臭い

・忘れっぽい

・めっちゃ右ヒジかゆい

こんなん全部普通じゃないし、

言い方を変えれば、全部「障害」になる。

 

・貧乏

・田舎

・片親

ガラケー

言いようではこんなんも「障害」になるはず。

 

改めて「障害」という言葉の意味。

考えていきたいと思います。

 

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